ネタバレ注意!「思い出のマーニー」考察~許しへの物語
思い出のマーニーはスタジオジブリの中では比較的新しい作品です。
北海道を舞台にした、夢と現実の境界が曖昧になる神秘的なこの物語には、不可解な点が沢山あります。
本記事ではそれらの謎のいくつかをピックアップし、考察を紹介していきます。
物語の核心を含むネタバレが多いので、映画をこれから楽しみたい人は後日ご覧くださいね。
マーニーの姿が若い理由は?
心を閉ざした少女・杏奈が療養先で出会ったブロンドヘアの少女・マーニー。
彼女は杏奈の実のおばあさんの幼い頃の姿なのですが、おばあさんが出てくるのであれば、マーニーと一緒に暮らしていた頃の姿で出てくればいいはずです。
それにもかかわらず、なぜ少女の姿で出てきたのでしょうか?
おそらくなのですがこれには杏奈とマーニー、それぞれに理由があることが推察されます。
杏奈サイドの理由……心を開ける友達が欲しかった
誰にも心を開けなくなり、療養にやって来た町でも、叔母さんが紹介してくれた信子に暴言を吐いてしまった杏奈。人と上手に関われないことに、自己嫌悪してしまいます。
しかし、本当は自分のことを分かってくれる存在が欲しいのでしょう。それは、自分とは年代も考え方も立場も違う大人たちには埋められない心の隙間なのです。
事情は違えど杏奈と同じ子どもの時期に孤独を味わっているマーニーは、辛い気持ちを分かち合える存在なのです。
マーニーサイドの理由……幼い頃の満たされたい気持ちを満たしたかった
マーニーの幼い頃、お父さんは仕事で常に家を空けており、お母さんはマーニーの世話を使用人に任せてしょっちゅう旅行をしていました。
極めつけには使用人たちからいじめを受けていました。
家庭には自分の心を満たしてくれるつながりが育めなかったのです。
唯一の心の支えだった幼馴染・和彦と結婚して子どもを授かるも、和彦は若くして病気に係りこの世を去ります。
マーニー自身も心身を患い、娘を全寮制の高校に預けたのですが、娘はその恨みを抱えたまま駆け落ちして家を出て行ってしまい、その数年後に交通事故で亡くなります。
そして娘たちが遺した孫娘を自分で育てるもその翌年に自分が病気で亡くなってしまったのです。
このようにマーニーも、人生の様々な場面で悲しみや罪悪感を味わってきました。
人生で起こる様々な感情や自己イメージは幼い頃の記憶に大きく影響されるといいますから、壮絶な人生の始まりである子ども時代の心の傷に救いを求めるのは不自然なことではありません。
マーニーは幽霊?杏奈の想像?
作品中では、どちらともつかない描写になっていますよね。
湿っ地屋敷(しめっちやしき)を見たことで記憶の奥底が刺激され、杏奈がおばあさんから聞いた経験談を基に生まれた想像上の人物という考え方もありますが、マーニーが現れたり消えたり、杏奈の予想しない台詞を言うことから、幽霊または思念体という考え方をすることもできます。
私の見解としては、その両方が混ざり合っているものだと考えています。
湿っ地屋敷に残っていたマーニーの思念が杏奈の記憶や想像を依り代にして杏奈に対して具現化されたのではないかと思っています。
そうあれば、マーニーとのお別れの時に交わした言葉のやり取りも説明がつきます。
マーニー「杏奈!大好きな杏奈!お願い、私を許すって言って!」
杏奈「もちろんよ!許してあげる!あなたが好きよ、マーニー!」
どうして突然自分を置いていなくなったかを話した上で謝ってほしかった杏奈は、唐突にマーニーとのお別れが来ることを予想していなかったはずです。
心の傷が癒えて杏奈の妄想が形を失うのであれば、このように予想外の言葉を伴ったお別れの挨拶が用意されずにある時から突然マーニーを思い出さなくなっていくのではないでしょうか?
以上のことから、マーニー自身も意思を持っていたと考えることができます。
「お願い、私を許すって言って!」の真意は?
マーニーが完全に杏奈の妄想であれば、サイロで杏奈を置いてけぼりにしたことを「許す」という意味合いになるでしょう。
しかしマーニーの幽霊または思念が意思を持っているとすれば、マーニー自身の人生が救われるような、深い許しを求めていたと考えることができます、
例えば、愛情に恵まれない環境で育ったことにより潜在的に思ってしまっていた
「必要とされない子なのに存在してしまってごめんなさい」
という罪悪感。
病気で仕方がなかったとはいえ娘を全寮制の学校に預けて寂しい想いをさせてしまったことや、幼い杏奈を残してこの世を去ってしまったこと等への罪の意識。
杏奈はそこまで深く考えず許すといってあげましたが、もしかしたらマーニーはそれらに対する許しを求めていたのかもしれません。
そうだとすれば、この物語は、杏奈だけではなくマーニーも救われる物語となります。
もちろん一つの解釈に過ぎませんが、香考えるとさらに幸せな物語として捉えることができそうですね。
水の意味するもの
マーニーと会えるのは夕方の満潮時と、湿っ地屋敷が舞台の本作では水が鍵を握ります。
これは他の作品にも共通する部分がありますね・
例えば「千と千尋の神隠し」では千尋が銭婆に会いに行くシーンで幻想的な水の描写があります。
「崖の上のポニョ」では私たち人間にとっての日常とは異なる世界として、改訂が描かれています。
水=幻想的=異世界との橋渡し
という役割があるのかもしれませんね。
最後に
いかがでしたか?思い出のマーニーは二人の少女が出会うことでお互いを救い合う物語。
筆者はこのように解釈していますが、皆さんはいかがでしょうか?
あなたが大切にしたい解釈を大切にしながら、物語を楽しんでくださいね。